ある日、突然仕事に行けなくなった話

こんにちは、つなです。
私は、最近まで勤めていた会社で、抑うつ状態を理由に1か月休職しました。
(会社の規定上休職ではないのですが、会社の規定に則った長期休暇の意で「休職」と呼ばせていただきます。)
今はもう元気に働いており、体調に何ら問題はないですし、何なら転職してしまって環境も変わったのですが、忘備録も兼ねて振り返ってみたいと思います。

今振り返ってみると、自分の心と体調にとっても無頓着だったなぁと思います。
自己認識もはき違えていましたし、視野狭窄でした。

完全に自分語りになりますが、短い小噺くらいに読んでいただけたら幸いです。
もし読んでくださった方で、仕事などに悩んでる方がいれば、一度立ち止まっていただけるきっかけになれば嬉しく思います。

私ってどんな人?

大学、大学院(修士)を卒業後、大手メーカーに新卒で入社、研究所に配属されました。
会社では、大学院での専門とはやや異分野の研究チームに配属され、ヒトを対象とした試験に携わっていました。
ヒト試験は大学院での研究とは全く勝手が違ってだいぶ戸惑った記憶があります。
また、製品搭載を前提にした応用研究に携わったこともあり、納期の存在、開発や上市段階といった下流工程でのフィジビリティを考慮した課題設定の必要性等、大学院でやっていた基礎研究との勝手の違いにも相当戸惑いました。

もう少し私自身の自己開示をしてみると、ストレングスファインダーの上位志向は以下です。

  • 回復志向(1位)
  • 調和性
  • 慎重さ
  • 共感性
  • 親密性

特に「回復志向」は自分でも納得感があります。

回復志向とは、以下のような資質のようです。

強力な「回復志向」の才能を持つ人は、問題を解決するのが好きです。新たな困難に遭遇するとうろたえる人もいますが、「回復志向」の持ち主はそれを力に変えます。状況を分析し、何が悪いのかを突き止め、解決策を見つけ出すという挑戦を楽しみます。彼らは問題を修正したり、活気を取り戻したりすることによって、物事を正常化させることを好みます。つまり、彼らは問題が発生しているときに勇気と創造力をもたらすのです。

Gallup社HPより


自分を思い返すと、
よく言えば、自分の足りていないところを努力してつぶしてながら、自信をつけてきた感覚がありますし、
逆に悪く言えば、自分の足りないところに自己嫌悪になることや不安になることはしばしばです。

引っ込み思案だった私が小学生のとき応援団をやったことも、
英語ができない私が留学をしたことも、
それもこれも全て自分に足りないと思ったものを手に入れるためです。

苦しいこともありましたが、それでもぶつかってみると得るものがあり、継続してその環境にいることで何度となく自信をつけてきました。

私にとって「頑張る」ことはライフワークなのだと思います。

入社2年目で出身大学のラボで博士課程に進学しました。(残念ながら会社補助もなく、自費です…)
博士課程に行こうと思ったのは、以下が理由です。

  • 大学院でやっていた研究を最後までやりきりたいと思った
  • 区切りのいいところまで研究をやり切った上で、自分の研究をしっかり言葉に落とし込む経験をやり遂げたかった

特に2つ目は「回復志向」がよく表れている気がします。
修士のときも相当に研究に打ち込んだ自信はありますが、それでも多面的に実験をし、丁寧に考察するということについてまだ心残りがありました。
その悔いを解消したかったのだと思います。

また、もう一つ自分の性格を開示するならば、「見栄っ張り」で「人を頼れない」人間ということです。
とても世間からの見られ方を気にする人間ですし、他人からの評価を気にしぃです。
人に求められていると感じていることは全てクリアしたいですし、頼られたいのです。

一方、他人を頼るのが苦手です。
「これを頼んだら、相手はどう思うだろうか、私の考えが足りない、そんなことで時間を取らすなと思われるだろうか」と悩みます。
なので、人に質問するときはいつも質問を頭の中でめちゃくちゃ推敲してから声をかけます…。

突然崩れた足元

私が仕事に行けなくなったタイミングは2回ありました。

1度目は社会人3年目の頭で、上司からその年の上期のフィードバックをもらう面談がきっかけでした。
この面談がきっかけ、と確信するほどに明らかにこれがきっかけでした。

フィードバック面談で伝えられたのは、「君はXXXの仕事をしてないという話を(多分マネジメント界隈で)よく聞く」ということでした。
その仕事はいわゆる雑務的な仕事で、私も最低限淡々とこなしていました。
ただ、当時の研究所では、その仕事を雑務と捉えず抜本的に取り組み、改善提案をすることが求められていたようで、私の作業量を考えると評価はマイナスだったようです。

今でも覚えていますが、その面談の後、私は茫然自失として会社の図書室で何が悲しいということもなく、ただただ泣いていました。
その日は早上がりしたと思います。
翌日は会社で貧血を起こしてしまい、医務室で休み、午後休を取りました。
医務室で休んでいる間、ままならない、何となしに悔しい感情に涙が止まらなかったこともよく記憶しています。

今思うと、とある部分の仕事についてマイナス評価を得ただけで、なぜ自分があんなにもショックを受けたのか、と思います。

もちろん、「仕事をしていない」という烙印を押されたことはショックだったと思います。
しかしそれ以上に、誰にそう思われているかわからないことが何より当時の私にはつらいことでした。
「誰かに負の評価をされている」「しかし誰がその評価をしているかわからない」という状況は、私を疑心暗鬼にさせました。
見栄を気にする自分の性格が少し表れている気がします。
面談以降、2週間ほどマネジメントに話しかけることが億劫だった記憶があります。

また、そもそも自分の心に余裕がなかったことも多分にあったと思います。
思えば面談前から、すでに落ち込み気味ではありました。
当時は、「資格試験の勉強時間を週20時間確保しなければ」、「研究室に行って実験をしなければ」、「ゼミの準備をしなければ」、「会社で新しく任された仕事もこなさなければ」と思考の容量をだいぶ使って疲弊していたと思います。

仕事は新しい局面を迎え、自分に求められるものも増えて飛躍のチャンスでした。
また、弁理士という世界に憧れを持ち、早く弁理士資格を取って新しい世界に飛び込んでみたいという想いも強く、資格勉強の優先順位は高かったです。
その一方、博士課程はあと1年で卒業しなければいけない時期で、自分が満足いく卒業を迎えるためにやらなくてはいけないことは山積みでした。

27歳の私にとり、
 当時の会社で信頼を手に入れるような仕事を成し遂げることも、
 キャリアにおけるチャレンジのための切符を手に入れることも、
 博士号を満足のいく形で取ることも、
”1年以内に”、”絶対に”成し遂げたいことでした。

30歳前に自分のゆく道を固めたいという謎の焦燥感があって、とにかく早く”スタンプラリーをこなす”ことに執着していたと思います。
シンプルにキャパオーバーでした。

そのくせ、「自分の武器は、現状の自分の欠けているものを認識して、”頑張れること”だ」と信じていました。
今までのように「頑張る」ことをすれば、自分はまた一つ自信を手に入れられる、それこそが自分の突き進む道だ、と思っていました。

そんなキャパオーバーで、自分が”こなせていない”という感覚があったからこそ、
「仕事ができていない」というフィードバックは決定打だったのだと思います。
私の足元は崩れてしまいました。

初めての心療内科受診

いわゆる女性のバイオリズムで気分の落ち込みを定期的に感じる私ですが、
面談直後の落ち込みは、直感的に「ヤバい」と感じるものでした。
自力で這い上がれる気がしない、沼にいるような感覚に陥ったのです。

そこで、面談をしたその週に、意を決して心療内科に行きました。
症状を話したところ、医師からうつ傾向にある旨(抑うつ状態にあるということだと思います)を伝えられ、休職の意思はあるか尋ねられました。
しかし、当時私には「休む」という選択肢はなく、しばらくは投薬で様子見、ということになりました。

当時を振り返って「休職」を考えられなかった理由は以下のことかな、と思います。

  • 仕事に穴をあけて自分の仕事の場所が失われると思い、それが怖かった
  • 自分が体調を崩した理由は、「仕事」「資格勉強」「博士課程」を同時並行で100%頑張ってしまったからであり、仕事のせいではないと思った
    (即ち、仕事を休んだところで根本解決にならないと思った)

今当時の私に会えるのならば、うるせぇとにかく休め!そして立て直せ!!!!と一発殴りたいところです。
仕事に多少穴をあけようが、体が何よりも優先されるものですし、
当時勤めていた会社は、数か月の休み程度でポジションが奪われるような会社ではなく、むしろ理解ある会社だったと思います。
そして、何が原因だろうが、追い詰められているときに、仕事という大きな時間を占めているものを休んで時間的余裕を持つことは即効性のある解決策だったと思います。

自分の心と体調を優先してあげられなかったことを今でも反省しています。

幸い、処方された抗うつ剤などが効き、体調は快方に向かいました。
仕事や研究室のペースは大きく落としませんでしたが、会社の上司や研究室のボスに通院を打ち明けたところ、お二人とも大変気遣ってくださり、精神的にも余裕ができました。

突然、心の折れる音が聞こえた

一時は快方に向かった…のですが、最初に体調を崩した面談から数か月後のことです。
ある瞬間、突然心が折れてしまいました。

当時は、やらなければいけない実験が山積みで、自分がPjリーダーになったばかりで、Pjに新しく参画する新入社員や派遣社員のフォローも自分しかする人間がおらず…という状況で、相当いっぱいいっぱいでした。
博士課程や資格勉強に割く時間がほとんどありませんでした。
土日も仕事のことで不安がいっぱいで、夢でも仕事をしているような状況でした。

そんなある日、私が開いたとある会議が、あまり芳しくない雰囲気で終わってしまうことがありました。
それ自体は本来気に病むほどのことではない(改善はもちろん必要)のですが、
その会議に参加した先輩が会議後に発した私への一言で心が折れる音がしました。

今では何を言われたか覚えていないのですし、先輩に他意がないことは、今もその当時もよく理解しています。
ただ、そのときは心が鉛のようにとてつもなく重く感じ、息ができなくなったことを覚えています。

その後、どうしても会社に行けない日が2日ほど続き、かかりつけの心療内科に行きました。

主治医は出勤日ではなかったのですが、たまたま、初診のときと同じ先生が診てくださり、一通り話を聞いてくださったあと、「休みますか?」と聞いてくださいました。
心療内科に来るまではどうするか悩んでいましたが、質問されたときは躊躇せず「休みたいです」と伝えていたことを覚えています。
そのあとは先生がすぐに診断書を書いてくださり、上司に連絡し、とんとん拍子で休職手続が進みました。

休んでみて気づいた、自分の中のたくさんの矛盾

休職というのは、存外あっけないものでした。
最初は仕事を一度離れられる安堵感が何より大きかったです。
それほど自分の中で仕事が大きな何かを占めていたのだと思います。

当時、何が苦しかったのか考えることがありましたが、今思い出せる範囲で、以下のことが辛かったのだと思います。

  • 研究に対して誠実にいられない状況
    (上市のスケジュールに合わせて最低限のデータしか取れない、多面的に検討できていないので恣意的な解釈ではないかという不安が付きまとう等)
  • 自分が信じきれていないデータを他部署に売り込まなければいけない状況
    (現象のメカニズムが分からず、現象をどこまで一般化してよいかわからない一方、納期や上市が決まっているため、曖昧な状態でGOしないといけない等)
  • やっている仕事に対するキャリア面の不安
  • 仕事、資格勉強、博士課程、それぞれに高い理想像を持っているのに、物理的にこなせる時間的余裕がなく、理想が形骸化している状況

まぁ色々とあるのですが、休んでみて気づいたのは、
私があまりに自分の気持ちを無視してきたということでした。
たくさんの自己矛盾を抱えて、自分の気持ちと社会的にこうありたい、あらねばという像が乖離していたり、納得できていないことを求められるがままに進めていたり。

加えて、今思えば、「頑張っている私」という隠れ蓑を使って、そういう自己矛盾がある状態から目をそらしていたようにも思います。

頑張れることをあなたの最大の強みと思い込んではいけない

僭越ながら、この経験をもとにtake home messageなるものを残すとすれば、標題のことかなと思います。

前段の通り、私にとっては「頑張る」ことがライフワークでした。
頑張る対象がないことは虚無感に繋がりましたし、一生懸命何かを体得しようとしている自分が好きです。
「頑張ること」、それこそが自分が未来を切り開ける確固たる方法だと思っていました。
それしかないとさえ思っていましたし、それができることこそが私の最大の武器だと思っていました。

併せて、30歳が見え始めた27歳という今、何か自分の生きる道を獲得しなければなるまいという恐怖感と焦燥感もありました。
これらが重なり、仕事、博士、資格勉強という3つの頑張る対象をどれも捨てられなかったのだと思います。

でも、体を壊して少し経った今、思います。
頑張れることとか、バイタリティとか、そんなものを自分の1番の強みだなんて思ってはいけないと思います。

私の強みは、自分を俯瞰して、自分に足りないものに逃げずに向き合える強さであり、
必要なことにめげずに挑める果敢さと粘り強さだと、今は認識しています。

決して「明日をも考えずなんでもかんでもがむしゃらに頑張ること」ではないのです。
自分に足りないものが分かって、頑張る対象が決まれば、自分の人生に合わせて頑張りプランを立てればよいです。
「頑張れること」を1番の武器に考えて、夢に向かう方法の一番の戦略にしてはいけないと思うのです。

「頑張れること」それ自体はサブウェポンで、一つの手段です。
あなたの強みはもっと他にたくさんあります。
その中に、夢に向かうための戦略に使える武器はたくさんあります。

自己の性質を見誤らず、自分の体調にいつも耳を傾けて正しいペースをつかむことは大切な営みでした。
自己理解を正しく行い、正しく自分の強みを理解して、
そして自分の健康に合わせて適切に強みを運用していく柔軟さを、これから大切にしていきたいです。
長く付き合っていく自分の心と体、これだけは一点物です。

以上、自身の経験談で大変恐縮ですが、
これを読んでくださった方が無理をしないきっかけの一つにでもなれたら、とっても嬉しいです。